酩酊日記

この間よりは少しばかり寒かったんだけれど、去年と比べてみれば大して違わないんだろう、だけども去年の今ごろの寒さなんて覚えてない。まあつまるところ普通の11月第3週の水曜日をおおかた過ごして、バイトから帰る帰り道、何も普段とは変りゃあしないんだけれど、満月であった。
他の人はどうかわからないので僕たちではなく僕と書くけれど、僕は何かに付けて意味をもたせたがるきらいがあるようなので、満月の下の帰り道にも少しばかり意味を持たせたくて、全く起こりもしない奇跡的なものをほんの少しばかり期待しながら、少しばかりいつもより明るい帰り道を、何も起こらないままとことこと帰ったわけだけれど、幾ばくかの奇跡の可能性のようなものはあったのかなあ、と少し今無理矢理ぎみだけれど音楽を聴きながらぼおっと思っている。
単調な足音で何かしらのリズムは生まれ、帰り道の民家の軒先には綺麗なピンクの大菊が咲いていた。数匹の可愛い犬を連れた人にも出会った。一昨日タンスから出したコートは充分な温もりを内含していたし、何より僕は奇跡を〓今風に言えば軽くだけれど〓予感していたのだけれど、奇跡は起こったのだろうか。
うん。わかりゃあしないのであると思う。スロットを嗜む僕たちは、可能性って奴を身にしみてわかってるはず。幾ばくかの可能性に踊らされて、踊りつかれて金使いはたして理解した経験ってやつが教えてくれるのは、『大体のことは予想つくけれど、ときには予想つかないこともある』ってなあたりまえのことと、可能性ってやつの無限の広さ。珍しくて素晴らしいことが奇跡だなんて誰が決めたのだろう。薄い可能性、例えて言うなら榎本加奈子のシンドバットアドベンチャーにおける中段チェリー17秒フリーズは奇跡ではないんです。それが例えごくごく僅かの可能性であったとしても。
そう、使い古された奇跡に新たな定義を僕たちが与えたときに、断片的な言葉では全くもって無く、それは澱み無く綺麗に繋がって、でもとてもシンプルに、ブログペットは世界の真理を語り出す。