スティルライフの冒頭の一文の中に世界と同調する例えとして挙げられたのはセミの声を聞くことは挙げられていたのか、それともヒグラシだったか。そんなことをヒグラシの鳴き声を聞きながら思った。

椎名林檎の曲、歌舞伎町の女王ではセミの声を聞くたびに思い出す九十九里浜、なんていう歌詞があったか。ありふれたものに付随してきちゃう思い出なんて他者にとってはやっかいなものだけど、強い有り様のものってのはそういうものだろう。マルボロの煙で思い出す元カレってか?昨日のときどき思い出してよ。季節の変わり目とかでも。というのはおれの中から浮かんで来たのか、誰かのパクりなのかは知らんけど、思い出に付随するのは嫌なのかな。けれども思い出しては欲しいんだよな。男子の発想っぽくはある。

見ず知らずの土地に来て、思い出も何も付随していない景色を見る。海、漁火、松林。思うところもそれなりにある。この景色も何かしら付随して行くのだろうな、とも。