見舞いなんて行きたくもないけれど、恩ある人が入院してるってなったらそりゃあ行かなきゃまずいでしょ。荷物は古本屋で買った漫画と梨セット。花束は恥ずかしいから止めといた。みんな心配してますよってな事を言いに、何故か僕が代表で見舞い。スペースがら空きの色紙を見ながらバスに揺られて、阿呆どもが書いた色紙を見る。

「いつ死ぬんすか」骨折で死ぬわけねえよ。
「金返すのもう少し待ってください」もう少し書くことあるだろ。
「お大事に」短いよ。
「これで6回生に近づきましたね。僕も目指せ8回生です」それ禁句

バスは時折止まり、錆付いたドアを開け閉めするけれど、どうにもその音はゴマちゃんを絞め殺したように聞こえて、そりゃあ気分も悪くなっちゃって、面倒さもまた頭をもたげる。昨日読んだ小説風に言えば”やれやれ”というやつであるんだろうか。

でもベットに横になっているであろう先輩を思い浮かべると、見舞いが面倒なんて思ったことを、少し恥ずかしく思い、こう考える。「あなたが海で溺れていて、底がふかーいふかーい場所だったとしても、たとえ一張羅を着てたとしても、俺は迷うことなく飛び込んであなたへの愛を示せるだろう。だけども、すぐ退院できる骨折見舞いは、さすがに、面倒」なんて。

恐らく誰かが目の前で海で溺れてるチャンス(チャンス!)なんて一生無いだろう。他人に愛なんてロクに示せないまま人生は進む。バスはゴマちゃんを絞め殺しながら病院への道を進む。 ろくなもんじゃないと思うのは気のせいであろうか。