金金言ってると嫌われる。

インターネットの普及で世界ランキングの中に放り出され一位になれない人たちが増えて、やる気を無くすってな記事を読んだ。怖いのでトラックバックはしないけれど。それは確かに感じていたなあ。自分は決して一位じゃあないみたいな感じは常にある。僕はどちらかというと一番になりたがる人間なもので、ちっちゃい枠に押し込まれてその中で一番取ってるぐらいで満足するのだけれど、気づいてもなお似非一番で居られるほどには素直じゃあない。生きにくい世の中だ。江戸時代なら村の稲刈り名人として一生を終えられたであろうに。

そこで皆さん価値尺度が変わってきてる気がする。一番になれない人たちは、質量で測れる金だと技量かそういう類のものから愛だとか思い出だとか幸せなんて感じになってきて、そりゃあ愛は尺度で測れねえけれど、僕の例でいうならば、僕はそんなに愛は深くない。どっかで誰かが死んでるらしいが、涙一つ流さないもの。それを愛とは呼ばない?ああ、そうですか。幸せだって、そこそこですよ。僕の尺度で僕より幸福そうな人は結構いる。思い出だって美化されまくって、信じていいやらどうなのか。

うーん、でもねえ、俺、自分サイコーって思ってるんです。わけもわからん根拠に支えられて、総合的には俺サイコーって。自分がこの世の中で最高であるってな解釈の仕方を探しながら。


あー阿呆だ。深夜に日記書くとろくな事が無い。