光速ですら有限であると知った日から、厳密な今という概念は姿を消して、僕は過去で構成された世界で生きて活動しているのだと考え着く。そりゃあ一所懸命頑張って生き急いでいるときなんかは思いもしないけれど、例えば、スーパーの帰り道なんかにふと思う。この耳に入る車の音も、目に映る路地も桜の木も、厳密には全てが過去であると。
桜の木から離れた枯葉は過去形で右へ揺れ、左に揺れる。次は右に揺れるであろうと想像した未来の枯葉と、目に映る枯葉の間に、虚ろな今を見る。