煙草を一日我慢して、羽衣あられとリプトンアップルティーマイルドセブンエクストラライトを買って、帰り道には猫を撫で、部屋に帰って煙草に火をつけ、素敵な本を読みながら、外は夕焼け、しばらくしたら月が見えて、って簡単な幸せを作る方法をいくばくかは有していますが、人間とは欲がたくさん有る生き物と誰かが言っていたようなので、また違う形の幸せを堪能しようと、鍋的なものを一人で作ることにしました。うん。一人で。
僕は16の時分から飲食店でアルバイトをしてきた人間なので、野菜を切ったり、熱さに耐えたりするのは非常に得意なのですが、味の配合となると、それはマニュアル的なものと、店側で作られたタレ的なものに任せきりであったので、みりんをこのくらいと塩をこのくらい入れたならばこの味が出せるとかいう、料理に一番大切な味の調合があまり得意ではないのですが、まあキムチって味ついてるし、あとは野菜入れて醤油入れときゃあ美味い鍋が作れるのじゃあねえかと作ったら、これがなんともおいしく出来まして僕はまた新しい幸せの形を手にしたわけですが、客観的に僕の幸せを分析すると、幸せのハードルを下ている。なんて恐ろしい考えが導き出されて、もう少しばかり、夢と理想と希望と、そういうののハードルを上げようと思いました。はい。
それにしても幸せってなんなのよっていうフレーズは流行歌なんかでも使い古された感がありますが、僕は幸せとは温もりであると感じています。愛とはなんぞやと聞かれれば、愛とは血であると答えます。別段これが世の中の真理であるとは全く持って思いませんが、僕に関して言うならば充分だと思うのですがどうなのでしょう。